京都でビジネスをしようと思うと、人脈が一層大切だとよく言われます。これは、「一見さんお断り」の文化が根強いからです。
勿論、京都でなくてもそうですが、何もないところから、信頼を得ていくには、本当に大変だと思います。
そして、他府県の人からはよく「京都出身」というだけで「あ、そうなんや。排他的な京都か」ということで、良い印象を持たれることは少ないのではないかと感じます。
京都は排他的?
京都生まれ、京都育ちの私でも、そう感じることはあります。
例えば、和菓子屋さんに行って、「ブログに書いてもよろしいでしょうか。」と名刺を渡す。「いいよ、いいよ。」と言ってくださるところも大変多くて有り難いのですが、裏の方でひそひそと相談され、「返してきなさい」ということで、名刺を突き返されることもあります。
もちろん、そのお店の商品を購入していますし、まさか金銭を要求などするわけでもないけれど、お話をすることも難しいのです。
名刺さえ受け取ってもらえないということです。大きなお店ほどそうだと思います。
何者かわからない人物とは、怖くて一切関わりを持ちたくない、ということなんですね。
でも、よく考えてみれば、別に京都だから、ということでもなく、全国どこでも、営業さんが突然行ったらお断りというのは、当たり前にあることではないでしょうか。
だから京都人は・・
京都の人はほんとうに・・。京都の人は・・。
そういうふうに言われると私は傷つきます。
少しこうしてほしい、ああしてほしい、というと「京都の人は、何かしてあげないと、何もしてくれないよね」「やっぱり京都人だから、そうなんだ。」
例えば、茶道や着付けというのは、ボランティアで教えるイメージもあるものなので、え、「無料」ではないの?と思われてしまうこともあります。
ビジネスのみならず、プライベートな関係でも、そういう風に評価されてしまうことがあります。
人間関係、特にどっちがどうというわけでもないし、どこの都道府県でもあることだと思うのですが、評価として
「だから京都の人は・・・」
になってしまうのが、何かやりきれない、非常に残念な気持ちになります。
昔からのお付き合いが大切 でも、新しい発想も必要
老舗も多い京都。取引先やお店同士が百年以上のお付き合い、という場合もあるでしょう。
一度大きな取引先になると、末永いお付き合いになるんですね。
京都人らしい、一見さんお断り、ようわからん人は怖いしつきあいたくないわ、というのも自然な心理だと思いますが、「京都は、景色はきれいな街だけど、人はとっつきにくいし良くない」と思われるのは寂しいなぁと思います。
老舗の多い京都は、それが誇りであり、伝統文化の継承にはお断りも必要であるという面もありますが、若い庶民の中には、フレンドリーな京都人もいますよ。
観光や街をよりよくするために、新しい風を入れる、というのも必要なことです。
茶道体験も、多くの方に、気軽に来ていただければなと思っています。